憲法が危うくする日本の安全保障 – 東裕(日本大学法学部教授) – BLOGOS



<私の憲法論 第十回>

 トランプ大統領の登場という「外圧」が、憲法九条改正の扉を開ける後押しとなるかもしれない。駐留米軍経費問題より、憲法制度の「構造の改革」要求に備えるべきではないか。2月に来日したマティス米国防長官は、稲田防衛相との会談で駐留経費には触れず、日米安保条約第五条の尖閣諸島への適用を言明した。だが、この第五条には要注意である。

 日米安保条約第五条は次のように規定する。

 「各締約国は、日本国の施政下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和と安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」。

 ポイントは2つだ。

 第1は、各締約国が「自国の平和と安全を危うくする」と認めなければ共同行動は発動されないこと。我が国に対する武力攻撃が行われても、米国が自国の平和と安全を危うくするものでないと判断すれば、米国は共同行動をとる義務はないのだ。

 第2は、各締約国は「自国の憲法上の規定及び手続に従って」行動すること。我が国は憲法九条を盾に消極的行動にとどまることも法的には可能なのだ。

 その前提で、「アメリカ・ファースト」で解釈すればどうなるか。答えは自ずと明らかだ。日本に対するあらゆる武力攻撃に対して米国が共同行動をとる義務はない。いかなる場合にも米国が日本を守ってくれる保証はないということだ。

 一方、日本が憲法の制約を理由に、米国が必要と考える措置を拒否したとき、瞬時に相互安全保障関係は崩壊する。では、どうすればいいか。あまりにも自明のことだが、自国の存立と安全を自国で守る気概をもち、それを可能にする体制を構築することではないか。国軍の保有と自衛権の行使を明文化する憲法改正の実現ということだ。

 今や憲法は実効的な安全保障の阻害要因となっている。憲法九条二項は「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は保持しない。国の交戦権は認めない」と定める。

 素直に読めば、自衛隊は違憲、自衛戦争もできない、となる。昭和21年の第九〇帝国議会で吉田茂首相は、九条は一切の軍備の不保持と自衛戦争の放棄をも定めたものと答弁した。我が国に主権がない占領下の解釈だった。

 それが昭和27年4月28日の平和条約の発効により主権を回復した後に政府解釈は変わる。「戦力」とは近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えるものと政府は答弁したのだ。同年11月、時の内閣は第四次吉田内閣だった。

 自衛隊発足から5年後の昭和34年には、最高裁が「砂川事件判決」で自衛権・平和主義・自衛の措置について解釈を示した。

 (1)憲法九条により、我が国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではない。

 (2)我が憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたのものではない。

 (3)自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとりうることは国家固有の権能の行使として当然のこと。

 政府解釈の変更や最高裁の判断は、状況の変化に応じて憲法の現実的妥当性を確保するためになされてきたものだろう。

 平成27年の集団的自衛権の限定的行使を容認した政府解釈も同様である。激変する安全保障環境の中で国家の存立と安全を維持するための法制度を整備し、かつ憲法規定と整合性を確保するための苦肉の解釈といえた。

 しかるに、衆議院憲法審査会での自民党推薦を含む3人の憲法学者の「違憲」発言をきっかけに、メディアでは「立憲主義破壊」や「違憲法案」の大合唱が起きた。世論も同調したが、法案を成立させた安倍政権への支持率は60%前後で推移している。これは我が国の「トランプ現象」なのだろうか。とはいえ、憲法解釈の変更が限界に来ていることは否定できない。

 さて、ここで論点を整理しよう。

 第1に、憲法九条は我が国の実効的な安全保障政策の実施を阻害している。護憲派はこれを「歯止め」と呼ぶが、「歯止め」は日本国政府ではなく、九条を改正して近隣の某国に掛けた方が安全というものだ。

 第2に、憲法九条の前提にある国際社会観は時代に適合していない。「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」(前文二項二文)は一体どこにあるというのか。その実現には一定の軍事力が不可欠である。

 第3に、憲法の掲げる安全保障方式は国家の安全を危うくする。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(前文二項一文)のは占領下。戦後の歩みをみれば、日本ほど平和を愛する国民に満ちた国はない。国際社会の安全を脅かしてきた「諸国民」は、旧連合国の中にこそいたのではないか。

 かくして憲法九条および前文の改正こそ、最大の安全保障の強化策であり、憲法改正の眼目となる。トランプ大統領を誕生させたこの時代は、我が国の安全と国際社会の安定に寄与する憲法に改める千載一遇の好機かもしれない。

 自衛隊を国軍と位置づけ、その統制と行使の限界を定め、緊急事態を想定した規定をおいた憲法の創造。「戦後レジーム」を超克する主権独立国家日本の憲法的表現である。

 70年前の昭和22年、美濃部達吉は『新憲法概論』でこう記している。「独立国としての生存を維持するには軍備は欠くべからざる必要であるが、敗戦国としての日本はその独立を失い、憲法前文に言明せるごとくにその安全と生存をあげて世界諸国の公正と信義とに委ねるほかなきに至ったのである」。

 ポツダム宣言の受諾・敗戦・占領という現実を前に「新憲法」を解説する憲法学者の無念さと諦観が滲む。主権独立国家であって憲法はその効力をもつ。国家あっての憲法。その逆は真ならずだ。(2017年3月6日号 週刊「世界と日本」第2096号 より

《ひがし・ゆたか》 昭和29年、和歌山県生まれ。早稲田大学政経学部卒業、同大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。専門は憲法学・太平洋島嶼地域研究。苫小牧駒澤大学教授等を経て、平成27年4月より現職。著書に『太平洋島嶼国の憲法と政治文化』(成文堂)、『日本国憲法講義』(成文堂)、『人権の条件』(嵯峨野書院)など。




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