[インタビュー]「韓国語ができず恥ずかしかったが、今や水曜集会率いる司会者」(ハンギョレ新聞)



挺対協の新しい事務処長ヤン・ノジャ氏

 先月、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)事務処長に任命されたヤン・ノジャ氏(48)は在日同胞3世だ。京都で生まれたヤン処長は大学に入ってから韓国語を学んだ。今や挺隊協が主導し日本大使館の前で開いている水曜集会の司会者を務めるほど、韓国語が上達した。それでもたまに電話越しに「もしかして日本人ではありませんか」と言われることがある。「(そういう時は)『日本人ではありません。私は韓国人です』とはっきり答えています。ハハハ」。21日、ソウル麻浦区(マポグ)挺対協事務室で彼女に会った。

京都で生まれた在日同胞3世  
大学時代に同胞青年会活動から感じた“解放感”  
「慰安婦の惨状」本を読んで“民族”を自覚 
 
2006年、ボランティアで挺対協に参加  
2009年から幹事として合流して定着  
「韓日慰安婦合意で大変ですが…」

 現在挺隊協事務処スタッフは処長である彼女を含めて4人だ。水曜集会を組織し、慰安婦被害者のお世話をしながら、国際連帯や協力事業を進めるのが事務処の仕事だ。

 ヤン処長が日本で10年間務めてきた会社を辞めて韓国に来たのは2004年だ。それから5年後には挺対協のスタッフとして働き始めた。そして8年後には事務処を束ねる処長になった。

 「祖父母が済州(チェジュ)出身です。日帝強制占領期(日本の植民地時代)に生活が困窮し、祖父が先に日本に渡って定着した後、祖母が来ました。祖父はピンを作る工場で働ていました」。祖父母には1女4男の子どもがいた。1935年、ヤン氏の父親が上から2番目で、長男として生まれた。「在日同胞2世らは曖昧な位置です。自分の意志で日本に来たわけではないのに、ひどい差別を受けなければなりませんでいsた。父は就職自体が難しく、漁商などをしながら、やっとのことで家族を養っていました」

 在日同胞3世はもう少し複雑だと、彼女は語った。彼女には弟が2人いる。「私たち兄弟には誰も朝鮮人だと教えてくれませんでした。誰かに教えてもらわない限り、普通は自分が日本人だと思います」。ヤン処長が幼い頃、家で韓国語のできる人は祖母しかいなかった。「祖母の友達が家に遊びに来て、2人がよくわからない言葉で話しているのを見て、我が家はよその家とは違うと思いました」

 1988年大阪にある大学に入学した当時、校内の在日韓国人青年団体のメンバーたちが彼女の自宅を訪ねた。これが彼女の人生を変えた。「韓国語や歴史を学びたいと思いました。在日同胞コミュニティ(共同体)に入り、解放感を感じました。前には朝鮮人であることが恥ずかしかったけど、コミュニティで活動するうちに、そうではないと思始め、解放された気がしました。個人的に大変な問題を相談できる友達もできました」

 しかし、弟は考えが異なっていた。コミュニティにいっしょに行こうという姉の提案を断った。「弟は『自分は韓国人でも、日本人でもない』と言っています。それじゃ何なのかと聞いたが『(自分は)何者でもない』と言いました。社会的弱者である韓国の人々の集まりに行きたくないということでした」

 ヤン処長は、高校在学の時、自分の意志と関係なく日本国籍を取得した。結婚前に帰化した父の意向によるものだった。「(コミュニティの同僚たちは)帰化の事実をあまり好まなかったんです」。彼女は今は故人となった父親に帰化の理由を問うたことがある。父の答えはこうだった。「人間に生まれたからには、人間の権利を手に入れたかった。人間らしい暮らしを享受するためだ」

 “差別の記憶”について聞くと、ヤン処長はこう答えた。「小学生の時、キムチやニンニクの匂いがすると言って、友達が遊んでくれませんでした。後で聞いた話ですが、幼稚園の時も、日本人の親が子どもに朝鮮人とは『一緒に遊ぶな』と注意していたそうですね。幼稚園で『朝鮮人はあっち行け』と言われたこともありました。就職も大変でした」

 当初韓国に来たときは、1~2年間韓国語を勉強してから帰るつもりだった。「在日同胞コミュニティで活動を始めてからは、韓国語ができないのが恥ずかしくなりました」。2006年には聖公会大学社会学科3年生に編入し、修学しながら、時間を見つけては挺対協でボランティアをした。慰安婦被害ハルモニ(おばあさん)たちに会ってから、韓国滞在期間は一年ずつ増えた。

 朝鮮の女性たちが日本軍性奴隷として虐待されていたという事実は、日本で会社に勤めていた20代の時初めて知った。「90年代中盤に日本で慰安婦問題が話題になりました。当時、日本語の慰安婦関連の本を読んで、大きな衝撃を受けました。被害者たちが受けた苦痛が赤裸々に書かれていました」。当時は“戦時中に女性に加えられた暴力”という女性主義的観点よりは、“同胞が受けた苦痛”という民族主義的な観点の方が強かったと、彼女は振り返った。

 彼女は3年前、在日同胞3世と結婚した。夫は日本で働いている。「水曜集会で会いました。結婚前は1カ月に1回ほど会っていたんですが、今は会う回数が減りました。ハハ」

 挺対協で活動している間、最も印象的な瞬間を尋ねると、やや意外な答えが返ってきた。「一昨年、韓日政府の間に慰安婦の合意をしたというニュースを聞いた時です。(その前には)何とか解決できる可能性があると期待していましたが、合意によってそれが一瞬にして崩れてしまい、とてもつらかったです」

 彼女は、今年5月の大統領選挙に出馬する有力候補たちが合意無効化を掲げていることに期待を寄せているとしながら、このように付け加えた。「合意を確実に無効にしなければなりません。政府のお金で10億円を日本に返還し、ハルモニたちが求めるやり方で解決しなければなりません。そうしなければ、ハルモニたちの名誉と人権を取り戻すことができません」。ハルモニたちは、日本政府が軍慰安婦犯罪を認め、法的賠償をすべきだと要求している。

カン・ソンマン先任記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)




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